あらまほしき研究者~第1話 研究、それは職を超えた学究の道  2010/05/07

 10年以上前のある日曜日の朝のこと、寝ていた私の枕元に息子が来て、「お父さん、毎日、僕たちのために働いてくれてありがとう」と言った。突然、なにを言い出すのやら・・といぶかりながら、研究者特有の原因解明に入った。すぐに、今日は「父の日」であることに気づいた。傍らの息子はしきりに恥ずかしがっている。「これは幼稚園の入れ知恵に違いない!」と確信し、調査終了。しかし、「別に妻子のために研究している訳じゃない」とすぐに考えた。結果としては、研究することで月給を頂くことができ、家族が平穏に暮らすことができている。でも、それ以上に、研究とは職を超えた学究の道だと思う。

 研究所の採用の面接試験で、「研究者にとってもっとも大事なものはなんですか?」という基本的な質問をすることがある。答えはいろいろあるだろう。知識、センス、研究費、健康、能力などなど。もし、私が質問されたら・・、3度のメシよりも研究にのめり込めること、好奇心、研究を心底から好きになれることなどを答えるだろう。研究が好きであることが絶対条件。これは、「日本のお父さんは会社にすべてを捧げて働く」という少し前までの仕事観とはぜんぜん違う。なにより、「Summer Vacationなど、とったことがない!」というような海外の同業者がいる。一方で、「Holidayはnever workだ!」と真っ赤な顔で叫ぶ外人(日本人も?)もいる。もちろん、研究者といえどもサラリーマンなので一定の成果(研究者の場合は論文数?)をあげていれば、仕事が好きかどうかは関係ない!という冷めた意見もあるだろう。しかし、研究者として「あらまほしき」は、敬虔な仏教徒やクリスチャンと同じく、日々、真摯な態度で学究の道を歩む学徒でありたい。

 一方で研究者はサラリーを頂く以上、労働者である。また、研究所や大学などの組織に属するからにはいろいろなルールを守る必要がある。研究者の周りには「コンプライアンス」、「エフォート」、「ミスコンダクト」などの目新しいカタカナが飛び交っている。「ギフトオーサーシップ」というのもあるらしい。なんのことやらさっぱりだ。悟りの境地にいたいのに・・・難しい時代に生きているなと痛感する。

 半人前の研究者がなにを偉そうなことを言うかと叱られそうなテーマを第1話に選んだ。それは、これから研究者を目指す方に、もっと夢を持って欲しいし、自分を信じて深みのある研究をして欲しいと願うからである。ちなみに、幼稚園児の息子には「君のために働いているわけではない」とは言わなかった。絶対に理解してもらえないし、「お父さんは僕のことを好きではないらしい」と誤解されても困る。その息子も今や18歳。「学問は罰ゲームじゃない。おもしろいからやるんだ」と説いている。大学受験の問題を酔っぱらいながら楽勝で解いてしまう親父を「ただものではない」と思ってくれているのがうれしい。